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日野川 あさ

Author:日野川 あさ
奈良のエネルギーワーカーです。
主にネットでヒーリングやチャネリングの活動してます。

○伝授・ヒーリング等のサイト
”PRISMATICA”

○天然石とアクセサリーのショップ
プリズマティカのサイトに併合しました。

○アメブロの普段日記
”スジャータさんのメモ帳”

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雑感の備忘

この人は私がついてなくちゃダメだ、とか、ほっとけないからそばにいる。というのは愛情ではなくエゴである。
そばについて支えるとか折れたときに勇気づけるというのはその人物と自分を重ねるところがあるからそうするのであろうが、その人がダメだから私がなんとかいい方向にしてあげたいなどというのは単なるエゴである。その人物は自分がついている限り永遠に変わることはないだろう。
その人に限定していえば、その問題部分を認めてくれていると思うだろうから、マイナス部分に気がつく(よい方向に向く)というのは後回しになってしまうと思う。
そして言うことを聞かない人を批判する。これも自分の思いががとおらないというエゴである。

人間の愛情に、善悪の概念は存在しないとおもう。
ただ傷が癒えるように触れ合う。同じ「感覚」を持つことを確認する。そうゆうことに喜びを感じるという純粋なものであるにすぎないように思う。

ヒーラーは傷ついた人を愛をもってヒーリングを行う。でもそのヒーラーが持ち合わせている感覚の範囲でしか癒せない。有能なヒーラーが1000人癒すことができたとしても、彼が癒せないヒーリーもいるのだ。そんなために別のヒーラーがいる。

愛されていない自分に問題があるとおもわなくていい。
愛情を感じるからこれが正しいというのもちがう。

直感で「違う」と思うことをしなければ、正しい方向に進める。
直感を信じないと、その考えを裏付ける理由を探し、自分に都合のいい理屈を組み立ててしまうだろう。



来年はどんな年にしようか天使と話してきましょうという宿題がでたので、ザドキエルと話す。

「笑顔でいられる年にしましょう。不安をもったまま、あるいは表面上のというのではなく、ハートの中心から出てくる笑顔です。」

トイレにて

最近本業仕事がいそがしい。イヤリーの仕事がこの時期重なるのだ。
子どもや子どもの習い事、家のことも、自治会の班長にまで今年は当たってしまって週末以外にも平日気を配らないといけないことが増えたし、副業の他の会社の組織変更等もあり、それにまつわる手続きをしなければいけない。

加えて、毎年梅雨の時期、体調をかならずくずす。
食欲がなくなり、体が重くなる。だるくて、しんどくて・・・、ときどき、着替えに寝室にはいるとそのままなにもせず、ベッドに倒れてそのまま布団にくるまってしまいたくなる。

毎日ため息しかでない。
調子の悪い胃のあたりからでる嫌なものを吐き出すようなため息。

さきほど書類の山をみて、3度ため息をついてから、トイレに行った。
すわっていたら、なんか声がしたようなきがした。
私にはサンダルフォンがついてくれてるとの先日教えてもらったのだが、その彼が言った。

「人の言うことは聞くようにしましょう」

人からかけてもらったことばを自分には今余裕がないものだから、そんなん今できない考えられないやれないと頭からはねつけている。
だからといって自分の自然な気持ちをおさえつけ、人の言うことをむりやり聞くともっとストレスを感じるので、どうしよう?
その人が私にわざわざエネルギーをつかって言ってくれた言葉だということを気にしつつ聞くことにしようとおもった。

私は竜に縁がないと先日からいろんな人に言いまくってるのだけれど、それをなぜかわざわざ言う機会があるということ、そして竜のはなしをすごく良く聞くということと、部活のある部員さんに私の背後に竜がいるよと言われたのを思い出し、もしかして背後にいるその竜が「いるよ~」と自己主張しているのではなかろうかとおもって、いるならば、、、、と話しかけてみる。
石でいうとアメトリンみたいな、紫と黄色が印象的な「ナキ」か「ナギ」という名前の竜のような気配をかんじた。

トイレの壁にあたまをくっつけて、目を閉じて、そんなことをしていると、隣の便房で人の出入りする音が聞こえ、意識が体に戻った。

こんなところでなにしてるねん・・・・・。(^_^;;





エゴイスト

甘いと言われるかもしれないけど、性善説派。
しかし中には悪いことをする人もいる。行いに悪いことがおおいといわゆる悪人といわれ、善人はその逆だとおもう。

いい人とは、憐れみを感じ、悪いことを恥ずかしいとおもい、謙虚さ、感謝の気持ちをもち、物事の善悪が判断できる心、信念・信条をもってる人をいうらしい。(いわゆる仁・義・礼・智・信「五常の心というやつ)

ところが、世の中に悪事ははびこっている。
これは、人は元々みんないい性質を上からいただいているのだが、自分が生まれてから蓄積していった性質もあり、その後天的な性質で悪いものの度合いがきつい場合、本来のいい性質がにごってしまい、悪が勝ってしまうことにより起こる事象らしい。

物事の善し悪しの区別が曇らされてしまうと、よかれとおもってやってることも悪いことになってしまう。余計なお世話というやつだ。
自分はいいと思ってやっていることで、実はその人や事象になんの役もたっていないどころか、かえって傷つけたり悪いことを引き起こしている自己中な人をスピリチュアルエゴイストということにする。
(おかしな言葉だ)(^_^;;

自分の利益を追求していない、人のためにやってあげている・・・善人を演じているが他からの評価がほしいエゴイストのときがある。
その人が望んでいると思い、気やものやお金を使う人・・・心が寂しいから他に求めてしまう依存型エゴイストであるときがある。

善悪の区別をつけたあとに、信念がないと(自分を信じる心がないと)恐怖や不安などに惑わされるかもしれない。そして自己を重視し、他者を軽視してしまうことになるだろう。
そうなれば、自身の利己的な行動が周囲の行動へと伝染し、他者の利己的な行動を誘発し、めぐりめぐって自己の不利益ともなってしまうので悪事を引き起こしてしまう。
(リビアのカダフィさんなどその典型かもしれない)

いい自分を信じて、不安に感じた時は、いい自分という味方がいると心強く思い、常に利己的な利益になっていないことを気にしながら日々過ごしていきたいと思う。


思うこと

今回の地震についてのブログを多く見かける。
内容は様々で、寄付の呼びかけや行動、原発や報道の仕方について、なにかすることはできないだろうかという自問等々。

不安を感じているひとはどんな人だろう。
今回震災の被害にあわれたひとは失ったものが多く今後の生活に不安を抱いている。
亡くなられた人。
直接的に救援救助をしている人。どうしようもない想像もつかない生死の境目の目撃をしているに違いない。
間接的な(たとえば日本の経済面)について憂う人。
色々いるだろう。

これで見落とされやすいのが、私のような全く震災に関係ない地域でこのニュースを見せられた人の「不安」だろうと思う。
自分たちは無傷だとおもっているその人たちは、なにもできない自分を憂い、時にはせめるまでして、その不安により電池やティシュなどの物品を寄付を送付したりする。救助の経験のない人がレスキュー隊に混じって救出活動をしたりすることもあるかもしれない。

しかし個人単位で送ると、先方の需要をみたすような大口の消耗品の輸送にさまたげを引き起こしたり、今朝のみずほ銀行のATMの不具合にもみられるように、お金の流通(もしかして小口の寄付金?)が通常を著しく上回ったことによるトラブルの発生がみられるのかもしれない。

平常ではなくなった状態に不安を抱いた人が引き起こすマイナスの連鎖がある。
不安だから少しでも自分ができることを考えて、その不安を解消するために行う動作だとおもう。

だからといって寄付しよう、なんとかしたいというのがマイナスと言っているのではない。
その「気持ち」は、とても次元の高い素晴らしいものだとおもう。
長丁場になるのだから、あせらず状況を見ながらやるべきことをしたいとおもう。

今回の地震は悲惨な事実をもたらしたのだけれど、日本人が主役になって地球全体がレベルアップしたようにおもう。ここで実際あるかどうかもわからないアセンションにふれるのはちょっとおかしいかもしれないけれど、それに備え地球人のレベルアップが試みられたのかもしれない。

今回のレベルアップとは、お互いのことを考えて助け合う、その気持ちが存在し、心を動かされる人がいるというそれである。
お互いに「愛」をかけあうというその気持ちなのだとおもう。


西洋では「三匹の子豚」にみられるようにレンガ作りの家「外部の一切の害から守る事ができる家」というのがベストとされているようだ。
でも日本の住宅は地震で倒壊することを前提とした作りになっているらしい。
江戸時代にも、如何に地震に耐えうることができるかというような屋敷の設計はなく、倒壊したあとの殿様の退路の図面などが存在したらしい。

地震でもなんでもプラスの事もマイナスの事も受入れる日本人のこういった感覚は古くから受け継がれているものであったようだ。
そういった感覚はこの時代に合っていて共感されるものなのだろう。
そんな日本に今生まれた事を誇りにおもって今日も祈ろうとおもう。





浄化

レイキの伝授をうけると霊性がレベルアップするような様々な働きが起こる。
このうち「浄化」の働きについて書こうとおもう。

上からの光はどんなひとにも平等にふりそそいでいる。
一般に霊的に能力があるひとといわれてるのは、その降り注がれる光を敏感に感じ取っている人ということで、ふりそそぐ量はどんな人にとってもおなじである。

それを感じ取るのが重要なのではなく、その光がもたらした様々な現象を自分でどう対応するのかがだいじなのであるが、その中の現象のひとつが「浄化」がある。
エネルギーワークの中の「浄化」という言葉は一般に理解されている意味合いとは少し違うようにおもう。

伝授された人は、まず、上からの光を多くうけることができるように受け口を広され、その後シンボルや言霊の伝授をうけ、上とのつながりのパイプがふとくなる。上からふりそそぐ光を受ける部分が広がるので、当然自分の目指すところへの道のりが短縮され、急激な変化が訪れるというわけだ。

目指すところへの道のりが、さほど間違っていない、、遠回りしていない人は、浄化反応は目立ってでてこない。
ところが、目指す道から外れている人には修正する意味合いで目に見える形で浄化反応が訪れる。

私が今まで聞いた浄化反応の一部を紹介する。
彼女は2度目の結婚だった。1度目は旦那さんに大きなわがままをいい、旦那さんが苦しくなり、わずか数ヶ月で離婚したらしい。2度目の結婚ではどんなことがあっても耐えて旦那さんをたてていく妻になろうと決めた。
だが、そんな決心をしていた彼女に上は無惨(!)にも箸をとるにも手渡さないと動かせないような男性と出会わせた。その旦那さんの仕事や家庭へのかかわりかたに疑問を持つようになっていったが、つくしていた。しかし最終的には耐えきれず離婚した。伝授後は特に目立って旦那さんの横暴がひどくなったらしい。
この苦しい行程が「浄化」である。

レイキを伝授うけたひとで、霊性の向上の話がぴんとこられなかった人は、こういった「苦しい」現象を浄化だと気がつかず、単に周りの環境が引き起こした不幸なことだとととられることも多い。
そして気がつかずに「苦しいなあ」「なんでこんなめにあうんだろうなあ」と、苦しさだけを感じ、自分の中の問題点と連結させないと、さらに苦しいことが(まるで嫌がらせのように)どんどん追加されてくる。
着目し(気づき)それを手放す決心をしないと、浄化の反応は、倍々でやってくるのだ。

これは上からの愛なので、ありがたく享受したほうがいい。
つまり結論として手放す方がいいのである。
この話をすると、それは理想で・・・と、自分の苦しい状態とは関係ないとわけて考えている人がいる。
せっかくレイキ伝授をとおして、上とのパイプが広まり、霊性の向上への道しるべである気づきが、していないひとに比べとても多く現象としてあらわれているのに、もったいない話だと思う。

自分が本来「弱み」とおもっているものが急にクローズアップされたり、見ないふりをしていて心の奥底に押し込んでいたものが急に出てきたりした場合、「浄化」と考える方がいい。
いつか手放せる自分がいる。
上はそれがわかっている。



色々雑記

瞑想がほとんどできていない。
一昨日からフルでできない。
ホーンソーがやっとこさという感じ。

自分の身の回りは今まで結構細かいところから幸運が続いてきた。
最近はそうでないことが増えてきた・・・ような気がする。
困った事というより予想してなかったようなことが増えてきた。

ひとつひとつなるべきところにおさまるのを見届け、それを心で理解することが必要だ。
それが自分の思いと違っていても、なぜそうなったか分析して承知する必要があるということだ。

昨日の労災がすんごいわかりやすかった。

下請けの社長にやめてもらいたかった。
労災がおきたときも彼とは連絡もとれず、若い子が彼の自宅にいったとき、社長は寝ていたらしい。
うち以外外部で仕事はしないといっていたが、しているし、毎日くるといっているのに遅刻途中外出は当たり前にし続ける社長に社内の現場から「あんなんでええんか」という声があがる。
休まれると仕事に影響するからであるが、最近は工場長と相談して法的にも彼をなんとかほうりだして、下請けの代表者を変えて社員のひとにだけ働いてもらおうか考えていた。が。

そこの社員さんが労災で指3本を切断する事故がおこる。
その方につきそって下請け会社の古参の人が病院にいった。
古参はもう70才をこえた前の社長のときからの社員さんで、今の社長の後見人みたいな人だ。

夕方、そこのやっと連絡がとれた社長と古参から連絡をうけた。
そこの古参の人は私に微笑みながら、こういった。
私が社長をやめさせたがっていたのを知っていたのだろう。

「これで社長は会社に毎日こないといけなくなりましたよ」

つまりその古参は車がないので、労災にあった人の車で通勤していたらしい。
彼がいないと、会社にこれなくなってしまう。
そこで、社長が彼を送迎しなければならなくなったというのだ。

そうゆうことが理由になるのだろうか。
やめなくてもいい理由に本来なるわけがないが、それをきいてその人の微笑みをみて、ばつが悪そうに苦笑いしている若い社長を見ていると、彼らの関係や生活、今までの色々なことが社長にも古参にもあって、それが理由になるような気がした。

彼らがいってから、工場長にもう少しいてもらいますか?と聞いてみると、工場長も同じ気持ちだったようだ。
社長はうちの会社から引導を渡されることはなくなった。
そして毎日前のように会社にくる様になりました。ちゃんちゃん。

雨ふって地かたまったのか。
そうなんだろう。


だから自分もしんどいしんどいいってないで、渦中に巻き込まれなるべきところにおさまる。

つもり・・・だ。





6月2日の瞑想

今日もフルコース。体操からする。
今日はホーンソーをしっかりやれた。ひさしぶりの浮遊感を感じる。
瞑想ではいつもどおり遠いところにうねりを感じる。
その後はしっかり音が近づいてきてくれた。

よしよし。

終わってから、ばたりと倒れて余韻にひたるのだが、そのとき4天使を呼んだ。
なにか聞いたんだけど(忘れた)それにたいするミカエルの答えが、「そう思ってるからそうゆうふうになってるんでしょ?」といういつもの「らしい」答えだった。
天使は助けてくれてとてもありがたい存在であるが、なにかを教えてくれるということは一切ない。

その点、ハイヤーセルフは本当にありがたい存在。その時点での悩みや不安についての解決方法を教えてくれる。
そういえば最近イサクにコンタクトしていないなあ。
ヒーリングしているときには色々聞いたりはするんだけど・・・。

今日も忙しかったけれど、なんとか想像しているぶんはこなせたとおもう。
明日も明後日もがんばる。
がんばれ自分。明日は求人票をまとめて書く。



5月21日の瞑想

今日もフルコース、昨日もフルコースでする。

自分というものが宇宙の一部分であることを認識すると、上とのつながりも早くできるような気がしてきた。
今日はオーム瞑想をしているときに、左の肩にじくじくしたものを感じ、その後突然左耳をジジジジジジジジジという機械音が大きく聞こえた。

それはあまりよくないものだったのか、なにかの注意だったのかわからない。
でも瞑想を中断するほどの大きな音だったからびっくりした。
なにかというと、耳元で話しかけられているような印象だった。

最近自分の気持ちを確認されているようなことが多く続く。
私は子供たちを深く愛しており、なによりも優先していると声をおおきくして言いたい。
もしかしたら、子供の本心と私の気持ちがくい違っていることを気がつかせたいのかもしれない。

私は子供の保護者だから、子供のためになることを自分の方針に従ってする。
子供を傷つけるようなことはしないし、困ったときはいつでも助ける。
しかしそれは自分が知り得る範囲においてでしか、できない。

知り得る範囲外のことを気がつかせるために上はやっているのか。
気がつくときがくるのか。
それまでも、そのあとも、今でも変わらず私は子供たちを愛する。



浄化

レイキをするようになって、自分に劇的な変化があったわけでない。
ほとんど普段の生活とかわらない。
ライタリアンの浄化はすごいときいていたので、身構えていたがなにもかわらない。

ただ仕事が少し忙しくなってきて、徐々に会社の責任を負わせられそうになりつつあるというのと、長女の骨折がなにかの兆しなのかと思う。
子供が骨折するくらいなら自分が・・・と思うのだがそこは上の考えで、「子供」の骨折でなければならなかったのだろう。

考えてみれば長女の受験にマイナスの要因ばかりかさなってきている。
受験すると決めてからの私と娘の関係、夫の単身赴任、次女が幼いこと。
しかし完全に打ち切らなくてはならないということが起こらないということは、長女に自力でがんばって、いけるところに入りなさい、というのがこの方向を目指した落ち着き所なのかもしれない。
想像だけど。
私もこれから会社をしっかりやっていきたいし、いつまでもふわふわしていてはだめだとおもう。

私に用意されたものはすべて受け入れる。
私が選ぶものに間違いはないと思うことが大切。

選んだものが想像どおりになれば、感謝する。
予想外のできごとは必要な経験だったと考える。
精神に体力をつけていこう。
かっこよく
かわいく
かしこく
やさしい人を目指し続ける。






5月8日の瞑想ほか

今日は本当はお休みなのだが、会社があるのでいつもと近い時間におきたので瞑想をする。
いつも通りやったが、今日はいつもより雑念が多かった。
これもGWに瞑想をさぼったせいだと思う。
徐々に感覚をとりもどさねば。

昨日は上に助けられた一日だった。( )書きが上のお助けとする。
時系列に書いていく。見ようによってはただの偶然の重なりみたいな感じだが、私はそう思わないことにしている。

・会社を下の子が熱をだしたため早退して、お昼ねをさせた。
(→家に帰ってからすぐにお昼ねを一人でする!と言ったので自分はピグとかして、遊ぶことができた)

・その後東野圭吾の本を読んでいたが、ソファでうたた寝している間に上の子が帰ってきた。
(→上の子がやたら「いい子」だった。すぐに勉強する!といっていたので小言を言わずにすむ)

・紹介してもらった「いい接骨院」に行くことになる。上の子はGW中に手をいためて、腫れがひかずにいたので。
(→名前も電話番号も調べずに行ったがすぐにわかり、駐車場も一台だけあいていた)

・満員で受付で時間を聞くと1時間くらいかかるとのこと。
その後6時半に下の子の病院を予約していたので、それに間に合うか気がかりだった。
(→ところが、6時過ぎに接骨院を出ることができて、家にも帰る余裕ができ、下の子の処方された薬の明細をとりにかえることができた)

・接骨院では骨折と診断された。大きな病院を紹介してもらい土曜日にいくことになる
(→この接骨院じゃないとそうゆうことはしてくれなかったような気がする。紹介してもらった病院は日本でも有数の手の専門医がいるところらしい。骨折は不幸だったけど、その後のフォローがとてもついていた。感謝感謝)

・上の子を自宅に残し、下の子をつれて病院にいく。
(→前日にもらった薬だけで、薬は新たに追加されなかった。熱も37.1度におさまっている。しかもいつも混んでいる駐車場、ここもまた1台だけあいていた)

・7時には帰れた。4時くらいから作っていたカレーが夕食。タケノコを昨日接骨院を紹介してもらった友達からもらっていたのでそれも調理していた。
(→カレーもタケノコも前からつくっていたので味がしみていて美味しかった)

・お風呂にはいる
(→下の子が昼間熱をだしていたのに、忘れて3人ではいってしまったが、夜も熱は出さなかったし今日も調子がいいようだ)

・下の子と一緒に8時半くらいに寝室にはいる。絵本を読んで下の子が寝たのをみはからって上の子が勉強している部屋にはいる。
(→夜にはいつも眠ってしまう上の子が寝ていなくて、ちゃんと勉強していてうれしかった)

・土曜日出勤だったので、父に連絡して車を一台かしてもらうことができた。
夫は土曜日に子供たちをつれて病院までいかなければならないので車が必要だ。
自分も車がなければ出勤できないし。借りれたのが大変幸運だった。

・その後ソファに移動して、夫を0時10分に迎えにいかなくてはならなかったが。眠すごしてしまい、あわてて家をでたが事故らずなんとか駅まで行けた。
最後のは夫が不幸だったが・・・・。


しかし、概ねというかほとんどいいことづくめだった。
上に感謝。天使にもありがとう。
こういったちょっとしたことで波動の上昇を感じる一日だった。


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