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日野川 あさ

Author:日野川 あさ
奈良のエネルギーワーカーです。
主にネットでヒーリングやチャネリングの活動してます。

○伝授・ヒーリング等のサイト
”PRISMATICA”

○天然石とアクセサリーのショップ
プリズマティカのサイトに併合しました。

○アメブロの普段日記
”スジャータさんのメモ帳”

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感謝とは

中学の受験が終わってから、入った学校でスキー部にはいった長女。
春や夏の間は筋トレやローラースケートでの練習がメインで、もともと運動が苦手な彼女は、先輩のしごきに堪えかねて勝手に1年生の秋で部活をやめてしまった。

勝手にやめてしまった友達がほかに2人いて、親に言えていない3人は部活の終わりそうな時刻まで繁華街でぶらぶらしながら、今日、親にいうか明日いうかと相談しながら、時間をつぶしていたらしい。
そのことが3か月後にわかり、勝手な行動をした長女を当然叱ったのだけれど、これも自分が選択した道。
苦手なことをやりつづけてトラウマになるのもどうかと思ったので、しばらく様子を見ていた。

人間は楽なほうに流れるようになっているのか、家にかえってから勉強するでもなく、だらだらとテレビの番組のことだけを考え、友達と携帯電話でやりとりをするというような生活を案の定おくりだした。
自分の理想だけど、中高生は健康的にスポーツやアルバイトで汗をながし、たくさん食べて精神と体を培う時期だとおもっている。
長女になにもそのとおりになれとは言わないが、あまりにも私の理想とかけはなれた生活で、せめて少しだけでもぴりっときいた何かを取り入れてなんとか運動させる手はないかと頭をひねった挙句、近所のどこでもいからスポーツをするところに、私と下の子、そして上の3名で入会し汗を流すという方法をとろうとおもいついた。

仕事おわってからのスポーツなんてしんどいだろうなと想像したが、ただヤレと指示するだけではいうことを聞いてくれないだろうと思い、多少無理しても自分も先頭たって見本をみせねばと考えたのだ。

さて、自宅周辺を見渡してあったのが、テニスクラブ。
自転車の距離で通える。テニスなんて高校の授業でしかやったことがなかったが、運動ならなんでもいいと思い、これにくらいついた。
そして、当時4歳と13歳、40代の親子が同時に受けれるプライベートレッスンはないかと門をたたいたのだ。

これがのちにとても無茶な注文だったことがわかるのだが、そのときは無知ゆえそんなことともつゆ知らず、とにかく頼み込み、なんとかお受けいただいた。
そして今から2年半年前からこの凸凹トリオでテニスを習い始めた。
ろくにボールもヒットできない園児に、テレビの心配ばかりする体力のない中学生、母だけが無駄にやる気をあふれさせている変な親子。

やり始めた当時は楽しく運動をしてくれたらそれでいいと思っていた。
長女は小さいときからなにを習わせても興味をしめさず、好きでもないものをやらされてかえって迷惑みたいな感じであった。バレエやスイミング、ピアノなんかもやってみたが、どれもすぐに大嫌いになり、続けたくないと言い出した。
がまんせずにやめてしまうことはよくない・・・。私は簡単にやめることを許さず、バレエなんかは2歳から9歳まで習わせたが、これがよくなかったようで、嫌いで嫌いで本当に大嫌いになってしまったのである。

そんな失敗があったので、テニスも嫌がったらすぐにやめてまた別なものをしようとおもっていた。
体を動かしている間は楽しくやってほしい。それだけを望んでいた。

このゆるい感じが、長女にはよかったようだった。
彼女が生まれてはじめて夢中になったものができた。
今は選手クラスにはいって週4回スクールにかよっている。そして口を開けばテニスの話ばかりしているテニス少女になっている。

そしてこのたび、プライベートレッスンは、2年半年で終了した。
コーチがいそがしくなってしまったのだ。私は週一の唯一の体を動かせる機会がこれによってなくなったのだけれど、もともとの目的はそんな自分の運動不足の解消などではなく、長女についてのことであり、このいたった結果に感謝している。

長女は夢中になれるものをついに見つけたのだ。
こんなうれしいことはない。そして私はいつものように上に感謝しまくった。望み通りになったよ~ありがとう~~~と。

ここで。
前置きが長くなったが、感謝とは一体何なのだろうという課題がふってきた。
私は今回のことでとても感謝していて、自分の望みどおりの素晴らしい流れにいたったことを、さすが神様とおもっているんだけれど、それだけでいいのだろうか。

今朝の瞑想で、そうきたのだ。
瞑想で、すごいヒーリングエネルギーがおりてきて、体いっぱいにその白い純粋で清らかな気がいっぱいになった。
私は、こんな結果にしてくれたことをとても感謝して、お礼をいったんだけど、それで、おわりなの?という言葉がきた。

終わりというのは、感謝がたりないよという意味などではもちろんなくて、
ただいい結論にいたったことをありがたく思うというそこどまりの感覚で終わらせるのではなく、もっと発展させましょう、もっと展開させましょうというニュアンスの言葉だったのだ。

確かに今までもありがとう~うれしい~とおもってそれは自分の感覚の中の満たされた思いを感じ入るというところまでだった。それ以上を研究していくでもなくそこどまりにしていた。

感謝の気持ちを発展させるとそれはどうなるんだろう。
私にはわからなかった。
人に伝える、みんなにも親切にする。思いつくのはどれも、一元的に水平展開させたもので、もっとこう、立体的な発展させやり方ではない。

感謝って一体なんでしょうね。
Yahoo!辞書でひいてみると感謝とは次の通りに説明されている。

<感謝>
[名](スル)ありがたいと思う気持ちを表すこと。また、その気持ち。「―の心」「深く―する」


なるほど、ありがたいとおもう気持ちか。ではありがたいとはなんなんだろう。こちらはコトバンクより、

あり‐がた・い【有(り)難い】
[形][文]ありがた・し[ク]《あることがむずかしい、の意から》

1 人の好意などに対して、めったにないことと感謝するさま。「―・い助言」「―・く頂戴する」

2 都合よく事が進んでうれしく思うさま。「―・いことに雨がやんだ」「社にとっては―・くない状況だ」

3 またとないくらい尊い。もったいない。「―・い仏様」「―・いお言葉」

4 存在しがたい。珍しい。めったにない。
「―・きもの、舅にほめらるる婿」〈枕・七五〉

5 むずかしい。困難だ。
「前車の轍(てつ)を見る事は誠に―・き習ひなりけむかし」〈神皇正統記・後醍醐〉

6 世に生きることがむずかしい。生活しにくい。
「世の中は―・く、むつかしげなるものかな」〈源・東屋〉


自分のおもっている感謝を説明してくれていないというのがよくわかる。
神は自分の好意などに感謝されることなどもちろん望んでないだろう。
人間がありがたい気持ちになり幸せになることを望んでいるに違いない。
とすれば、感謝に進化系もありそうだ。

一体感謝を超えたところになにがあるのだろう・・・、知ってみたいと思う。

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