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日野川 あさ

Author:日野川 あさ
奈良のエネルギーワーカーです。
主にネットでヒーリングやチャネリングの活動してます。

○伝授・ヒーリング等のサイト
”PRISMATICA”

○天然石とアクセサリーのショップ
プリズマティカのサイトに併合しました。

○アメブロの普段日記
”スジャータさんのメモ帳”

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観音再び

瞑想のたびに気がつかないふりをしているのだけれど、観音はずっとそばにいてくれている。
やっぱりあの「無」について追求していきましょうということのようなので、今朝はそれについてどうの言う人もいなかったし、観音のいうようにしてみることにした。


つまり、みんなひとつ、ひとつの愛であり光なのだということがわかる。
魂は神から別れ、今旅をしている。
私にはなぜ神から分離したのかわからないが、もともと一つだった。


不安、恐怖は私たちに訪れる。
無というのは闇ではなく、光りだということ。
光がないとできない闇であるということ。
従って光は闇を包括することができると信じている。

感謝
感謝というのはどうゆう気持ちだろう。
自分に他から受けたなんらかのこと(全ては愛なのだけれど)によって、現状よりもいいことがあったり、気づいたりということを経験できた場合にわきおこる感情だとおもう。
この世の中愛あるものしかなければ、感謝という感情もおこらないのだろうなとおもう。

肉体があるからこそ、ある感情。
だがこの感謝の感情は、光あるもの、
愛あるものにふれたときに起こる心のよろこびであり、エネルギー体にはない感覚なのだろうなとか思う・・・。

観音について、
彼女、、彼のときもあるこの存在は、無ということを伝え、光や愛について、もとからなんの区別もないんだよということを教えてくれていたということがわかった。

全て最善しか起こらない
・・・というのは、私がどんなに光じゃない方向のことをしていたとしても、そのときにはそれが必要だったからそれが最善。
そして、光のある方向に導かれて行く。それが最善。
回り道しても道草くっても、立ち止まっていてもその時点時点での最善がそれなのだ。


イリヤ・レーピンの「サトコ」のような光景が出て来て、私の前を光るものたちの列がとおりすぎていった。




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