雑感の備忘
この人は私がついてなくちゃダメだ、とか、ほっとけないからそばにいる。というのは愛情ではなくエゴである。
そばについて支えるとか折れたときに勇気づけるというのはその人物と自分を重ねるところがあるからそうするのであろうが、その人がダメだから私がなんとかいい方向にしてあげたいなどというのは単なるエゴである。その人物は自分がついている限り永遠に変わることはないだろう。
その人に限定していえば、その問題部分を認めてくれていると思うだろうから、マイナス部分に気がつく(よい方向に向く)というのは後回しになってしまうと思う。
そして言うことを聞かない人を批判する。これも自分の思いががとおらないというエゴである。
人間の愛情に、善悪の概念は存在しないとおもう。
ただ傷が癒えるように触れ合う。同じ「感覚」を持つことを確認する。そうゆうことに喜びを感じるという純粋なものであるにすぎないように思う。
ヒーラーは傷ついた人を愛をもってヒーリングを行う。でもそのヒーラーが持ち合わせている感覚の範囲でしか癒せない。有能なヒーラーが1000人癒すことができたとしても、彼が癒せないヒーリーもいるのだ。そんなために別のヒーラーがいる。
愛されていない自分に問題があるとおもわなくていい。
愛情を感じるからこれが正しいというのもちがう。
直感で「違う」と思うことをしなければ、正しい方向に進める。
直感を信じないと、その考えを裏付ける理由を探し、自分に都合のいい理屈を組み立ててしまうだろう。
来年はどんな年にしようか天使と話してきましょうという宿題がでたので、ザドキエルと話す。
「笑顔でいられる年にしましょう。不安をもったまま、あるいは表面上のというのではなく、ハートの中心から出てくる笑顔です。」
そばについて支えるとか折れたときに勇気づけるというのはその人物と自分を重ねるところがあるからそうするのであろうが、その人がダメだから私がなんとかいい方向にしてあげたいなどというのは単なるエゴである。その人物は自分がついている限り永遠に変わることはないだろう。
その人に限定していえば、その問題部分を認めてくれていると思うだろうから、マイナス部分に気がつく(よい方向に向く)というのは後回しになってしまうと思う。
そして言うことを聞かない人を批判する。これも自分の思いががとおらないというエゴである。
人間の愛情に、善悪の概念は存在しないとおもう。
ただ傷が癒えるように触れ合う。同じ「感覚」を持つことを確認する。そうゆうことに喜びを感じるという純粋なものであるにすぎないように思う。
ヒーラーは傷ついた人を愛をもってヒーリングを行う。でもそのヒーラーが持ち合わせている感覚の範囲でしか癒せない。有能なヒーラーが1000人癒すことができたとしても、彼が癒せないヒーリーもいるのだ。そんなために別のヒーラーがいる。
愛されていない自分に問題があるとおもわなくていい。
愛情を感じるからこれが正しいというのもちがう。
直感で「違う」と思うことをしなければ、正しい方向に進める。
直感を信じないと、その考えを裏付ける理由を探し、自分に都合のいい理屈を組み立ててしまうだろう。
来年はどんな年にしようか天使と話してきましょうという宿題がでたので、ザドキエルと話す。
「笑顔でいられる年にしましょう。不安をもったまま、あるいは表面上のというのではなく、ハートの中心から出てくる笑顔です。」
