一般に知られる不動明王は火で焼きつくしてくれるらしい。
龍とは管轄がちがって、(次元がちがうのか)彼はそのものを焼く。
猿と縁がある。
焼かれる人、逃れる人。これもすべてもちろんなるべくところの通りになる。
彼は世界中でいろんなところに顔を出している。
かなり人間くさいところがある存在で、思い出話などもしてくれる。
自分がやってきた経験から、こうだから、こうゆうもんだよ みたいな語りで、アドバイスをくれるかんじ。
(思い出話のあたりは忘れてしまった)
昔やんちゃしてたちょい悪アニキな印象。
決めたことに到達するまで、頑張る芯の強さは大事だと思わなくてもよい。
そこにたどり着くまでの自分もいるし、たどり着く前と、たどりつこうとしている過程によって自分自身がかわるかもしれないことを知っておく。
守ろうとしているものは、本当に守る必要があるものか。
イヤダとおもっているそれは、本当に嫌なものか。
こうでなければならないと思っているものは、それが本当に常識なのか。
もう一度少しひいてみてみると、そこにはもしかして突破口があるかもしれない。
ヒントがあるかもしれない。
次への階段が見えているかもしれない。
人生にはいろんな試練があって、それを乗り越えることで人は成長していくものであるが、
死というのは、人生のうちで最も大きな試練であるそうだ。
肉体の死というのを意識が受け入れるか受け入れないかで、意識の行き場所は違ってくる。
意識が変化するときにはなにかわれわれ生きている人間が想像しにくい力が加わって、通常は受け入れ、無になる。
受け入れることができない場合は、この世でさまよう亡霊となる。
魂は次のステップにすすむため、上の方に行ってしまう。
3,4次元だと壁一枚隔てた別の世界だ。
殺された人はどうなるの?という考えがおこるが、肉体の死を受け入れないと、亡霊としてさまようことになってしまう。
では、自殺した人はどうだろう。
死にたいと強く思っているので、無になれるのか。
そうでなく、「死」に逃げたくなるほどのなにかがこの世にあったということになるので、意識はかならずのこってしまう、つまり亡霊になってしまう。
霊能力者が何年か前に死んだお母さんと話をしてくれた。
無にかえった、つまり死を受け入れた意識と話すことは難しい。
なんらかの技術を使って、お母さんが生きていた時分に霊能者の意識を時空をこえて飛ばせてコンタクトをとる等の方法で話をしてくれてるのかもしれない。
ちなみに無になるというのは、神の光に包まれるということである。
そして、魂と意識は違う。
魂は永遠であり、神の光のかけらであると、私は思っている。
今、自分の瞑想のお題が、死についてのようである。
ここに備忘をいろいろ記しているが、二転三転していることもある。私の理解がまずいせいなのだが・・・・。
ピオ神父は赤い首にかけた布と白い服装。
背が高く細い印象だった。
工夫して書こうとしたりするとまたブログ編集画面をひらこうとしなくなるようなので、短くでも、上からのメッセージを備忘していきたいとおもう。
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自分に本当にあうものを見つけたいとか、運命をへつづく軌道を走りたいと思っているとき
今していることはそれにつながるものかわかりたい
そうしないとわかってるんだけど、できない。
誰かにいいと言われて自分もその理屈がわかるのでやっている。
それは真理につながっていない。
直感や理由もなく、しているものは、あなたにとって必要なものであり、それが一番真理に近い。
10月13日、台風が関西地方を直撃したその日に癒しスタジアムが開催され、私はひさしぶりに出展させていただきました。
台風にもかかわらず会場は大変にぎわっていました。
この日でしばらくお休み と、いう思いが胸にあり、少しさみしくもあったのですが、終わってみると時間中に経験させていただいたいろんなことでまた成長させていただいたような感じです。
そして今後も次の段階にすすむために発射台になる現在の足元をしっかりと、ふみかためたいと思っているので、とりあえずしたことを備忘するというこのブログの更新!!!
・・・毎日(?!)ということを目標にしようと決心しました。
セッションを受けにいらしてくださって、ブログを見てくださって、お言葉をかけてくださって、本当にありがとうございます。
しばらくはブログを通しての発信のみとなりますが、いろんなところに関わっていければと思っております。
ありがとうございました。
サイトとショップに休業の看板を出しました。
セッションや天然石のアクセサリーについてのお問い合わせ、お申込みおよびご相談は10月13日までによろしくお願いいたします。
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先日、朝の瞑想で、受けたメッセージがいい言葉だったので備忘しておきたいとおもう。
たとえば、仕事上で、人と意見が食い違い、口論に発展したときなど。
人は、そのまさに「攻撃を受ける」とき(あるいは状態)をなんとかしたいと考える。
攻撃を受けている真っ最中、しゃがみこんで、頭を覆う人
反撃のチャンスを狙う人、いつか仕返しをしてやろうと思う人
実際に同じように言葉の刃を向ける人
傷つきたくない、苦しいから逃げたい。とう回避したいと考える人。
色々だと思うが、その攻撃のエネルギーを受けて対処することでいっぱいになってしまうので、いやなことをしたり考えたりしてしまう。
その矢継早の攻撃がおさまってからは、落ち着いていれば、いろんなことを考えることはできる。
あの人がああいったのは、あの人自身も傷ついたからだとか、
どこそので不手際なことがあったから、こうなってしまったのだなとか、
ひどい言葉だったけれど、一部は理解できるなとか、
強く言うのは私に対する愛情ゆえだよとか・・・。
落ち着けば、状況を客観的に見えるようになる。
とらえようによって、人はそのときが一回り大きくなれるときなのだとおもう。
だが、成長のためとはいえ、わきあがるマイナス感情を押し殺したり、爆発させたり というのは一瞬たりともいやなものである。
攻撃を今まさに受けてるの自分のマイナスの思い。
これはどのようにすればマイナスじゃないようになれるのか。
「自分の善を見ましょう」
見直してみると自分が善でもなかったよ という場合もあるが、今言う「自分の善を見る」というのは、まさにマイナスの感情に苛まれているときの話だ。
やられている場合、それをやっている人に注意が向いてしまうが、そこに意識をやるのではなく、
自分のそのものに対する圧倒的な「善」を見るというふうに上はいった。
自分の善を信じている人は、他からの働きかけで「マイナス」を浴びせかけられても、折れないし傷つかないということだろう。
後々省みて「見直してみると自分が善でもなかった」という場合も、先方に悪い感情をもたなければ、すんなり自分の考えを変更してついでにお詫びもしやすい。
といった寸法である。
あと備忘するのは、ヘルメスの情報。
ヘルメスが守護する星があり、地球の双子であるらしい。
どの辺になるか、どのくらい遠いのかわからないが、次元そのものが違っている。
地球のように、地上で誕生するものを、自分の一部のようにその星では扱っていないとのこと。
ヘルメスのような次元になると、死というものがなくなる。
表裏一体の次元であるのは、6次元くらいまでで、その表裏にきっぱりわかれた世界は7次元以上で境界があいまいになってくるそうだ。
肉体をもたない存在だらけになるからだろうけど・・・。
