最近地球や太陽なんかにつながる瞑想をしている。
ミカエルにプロテクションを瞑想のはじめしてもらうのだけれど、彼を呼び止めて色々きいてみた。
「地球はアセンションできない流れになっているのではないか。」
「地球はアセンションをしようとおもっています」
「宇宙の中の地球の役割や、なぜ存在したいと地球がおもったか、ということからすると、アセンションできないとおもう。」
「あなたが言っていることを超えたものがアセンションです」
「太陽はひたすらやさしく、どんなものに対しても愛をそそいでくれています。他の星や宇宙の別のものにたいしての役割を教えてください。」
「それは太陽にききましょう」
グレイトセントラルサンが目の前で煌煌としていた。
太陽には愛しか感じられない。それ以外の意識を感じられない。
なぜあなたはそこで光をあたえるのかと聞いてもやさしいエネルギーがかえってくるだけだった。
地球のような魂が修行のような経験をする星はほかにもあるらしい。
この小宇宙(銀河のこと)では、割と銀河系の真ん中の方にそういった星がいくつかあるとのこと。
地球はそれらから少し離れている。
魂たちが今の地球の低い次元で様々な経験をするために、魂は乗り物を活用する。
それが肉体であり、けっこう地球のこだわりどころでもある。
次元があがると、波動も細かくなり、荒い波動の肉体(物質)のようなものは存在しなくなる。
8次元になるともう目には見えなくなってくる。
レムリアやアトランティスの時期にも次元上昇しようとしたが、地球のこだわりと次元上昇に不可欠なエッセンス「愛」が、まとまらず、うまくいかなかったんではないだろうか。
だとしたら、今うまくいっていない目に見える形の自然災害とか、あちこちにある紛争、諍いなどは、まとまっていませんよという啓示なのかもしれない。
今の世界がまたレムリアのような二の舞で、ほろびてしまって、また一からやりなおしの基礎から・・・みたいな流れになるの・・・・?とおもったが、そうなってほしくないとおもう。
ミカエルがいったように、地球のこだわりを残しつつ、愛があふれる次元に、この住処である地球が上昇してほしいとおもう。それには私に出来ることはないだろうか。
太陽はなにもいわない。
ただイメージを見せてくれた。
春。
やわらかな光が差し込んで、とまっていた小さな微生物が動き始める。
ミミズや小さな虫も光を得て動き始める。
鳥はカップルで卵を交代で抱いて、昼寝をしている猫の毛並みに日の光があたって光っている。
夏。
生産活動をする動物たち。忙しく食料を住処にはこぶリス。
大きくしげり、日の光をせいいっぱい浴びる緑の葉っぱ。
光の力をかりてみんな自分のエネルギーをせいいっぱい大きくしている。
太陽は全てのものに公平に光をそそぐ。
その光で地球は形ある乗り物をこしらえていく。
愛で乗り物をこしらえてもらったのに、人を殺したり、自分を粗末にあつかったりする人が私の目の前に浮かぶ
太陽は彼等にも無条件の愛である光をそそぐ。
夜。
光がないとき。それは地球の反対側にいる乗り物にそそがれている。
地球は自ら回転して全てのものに愛を受けさせる。
闇はうまく取り入って愛をわすれさせる。目を見えなくし、耳を塞ぎ、意識に影を落とす。
闇の中にいると不安になる。それが乗り物使いである私たちの闇の部分。
闇は乗り越えるためにある。小さな闇をさらに大きな自分の光で覆うことができるようになる経験を得るために存在している。
何度も闇に飲み込まれそうになりながら、それを光で大きく包む
太陽が小さな小さなものまでもかわらず愛をそそいでいて、私たちはその一部。
一面が苔のような広大な土地で、苔が光できらきらしているところに私は立っていた。
太陽と地球の愛に感謝。
とても高い理想だとおもうけど、太陽みたいになりたいとおもった。
シリウスコードについても聞いたのだけれど、それはまた次回。
話しはかわるが、「手のひらを太陽に」は、すごく地球と太陽に感謝している歌詞だなとおもう。
「手のひらを太陽に」
やなせたかし作詞・いずみたく作曲
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ミカエルにプロテクションを瞑想のはじめしてもらうのだけれど、彼を呼び止めて色々きいてみた。
「地球はアセンションできない流れになっているのではないか。」
「地球はアセンションをしようとおもっています」
「宇宙の中の地球の役割や、なぜ存在したいと地球がおもったか、ということからすると、アセンションできないとおもう。」
「あなたが言っていることを超えたものがアセンションです」
「太陽はひたすらやさしく、どんなものに対しても愛をそそいでくれています。他の星や宇宙の別のものにたいしての役割を教えてください。」
「それは太陽にききましょう」
グレイトセントラルサンが目の前で煌煌としていた。
太陽には愛しか感じられない。それ以外の意識を感じられない。
なぜあなたはそこで光をあたえるのかと聞いてもやさしいエネルギーがかえってくるだけだった。
地球のような魂が修行のような経験をする星はほかにもあるらしい。
この小宇宙(銀河のこと)では、割と銀河系の真ん中の方にそういった星がいくつかあるとのこと。
地球はそれらから少し離れている。
魂たちが今の地球の低い次元で様々な経験をするために、魂は乗り物を活用する。
それが肉体であり、けっこう地球のこだわりどころでもある。
次元があがると、波動も細かくなり、荒い波動の肉体(物質)のようなものは存在しなくなる。
8次元になるともう目には見えなくなってくる。
レムリアやアトランティスの時期にも次元上昇しようとしたが、地球のこだわりと次元上昇に不可欠なエッセンス「愛」が、まとまらず、うまくいかなかったんではないだろうか。
だとしたら、今うまくいっていない目に見える形の自然災害とか、あちこちにある紛争、諍いなどは、まとまっていませんよという啓示なのかもしれない。
今の世界がまたレムリアのような二の舞で、ほろびてしまって、また一からやりなおしの基礎から・・・みたいな流れになるの・・・・?とおもったが、そうなってほしくないとおもう。
ミカエルがいったように、地球のこだわりを残しつつ、愛があふれる次元に、この住処である地球が上昇してほしいとおもう。それには私に出来ることはないだろうか。
太陽はなにもいわない。
ただイメージを見せてくれた。
春。
やわらかな光が差し込んで、とまっていた小さな微生物が動き始める。
ミミズや小さな虫も光を得て動き始める。
鳥はカップルで卵を交代で抱いて、昼寝をしている猫の毛並みに日の光があたって光っている。
夏。
生産活動をする動物たち。忙しく食料を住処にはこぶリス。
大きくしげり、日の光をせいいっぱい浴びる緑の葉っぱ。
光の力をかりてみんな自分のエネルギーをせいいっぱい大きくしている。
太陽は全てのものに公平に光をそそぐ。
その光で地球は形ある乗り物をこしらえていく。
愛で乗り物をこしらえてもらったのに、人を殺したり、自分を粗末にあつかったりする人が私の目の前に浮かぶ
太陽は彼等にも無条件の愛である光をそそぐ。
夜。
光がないとき。それは地球の反対側にいる乗り物にそそがれている。
地球は自ら回転して全てのものに愛を受けさせる。
闇はうまく取り入って愛をわすれさせる。目を見えなくし、耳を塞ぎ、意識に影を落とす。
闇の中にいると不安になる。それが乗り物使いである私たちの闇の部分。
闇は乗り越えるためにある。小さな闇をさらに大きな自分の光で覆うことができるようになる経験を得るために存在している。
何度も闇に飲み込まれそうになりながら、それを光で大きく包む
太陽が小さな小さなものまでもかわらず愛をそそいでいて、私たちはその一部。
一面が苔のような広大な土地で、苔が光できらきらしているところに私は立っていた。
太陽と地球の愛に感謝。
とても高い理想だとおもうけど、太陽みたいになりたいとおもった。
シリウスコードについても聞いたのだけれど、それはまた次回。
話しはかわるが、「手のひらを太陽に」は、すごく地球と太陽に感謝している歌詞だなとおもう。
「手のひらを太陽に」
やなせたかし作詞・いずみたく作曲
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
