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日野川 あさ

Author:日野川 あさ
奈良のエネルギーワーカーです。
主にネットでヒーリングやチャネリングの活動してます。

○伝授・ヒーリング等のサイト
”PRISMATICA”

○天然石とアクセサリーのショップ
プリズマティカのサイトに併合しました。

○アメブロの普段日記
”スジャータさんのメモ帳”

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ヴァイワムス

今日の瞑想。
いつもどおり瞑想にはいってゆき、光の中のイメージをみていたら、土埃がまうような場所に柵があり、その内側に初老の男がすわっていた。
彼はヴァイワムスだった。いつもみる彼よりも若干ほっそりしている。

彼は光かがやく湖を見せた。湖面にきらきらとひかる光の反射が美しい。
私は手を伸ばして光に手を透かしてみた。
とても美しい光だとおもった。

彼はいう。
欲しいとおもっているだけではあなたの思いだけです。
欲しいとおもうものの場所まで歩いて行くと手に入ります。


のぞめば変わるという。
確かに思いのエネルギーはあるかもしれないが、「歩く」という行動が必要といっているんだろうな。
欲しいと思ったから取りに行き手に入れる これは自然な流れなのかもしれないが、この流れを当たり前と考えるのではなく、上が用意してくれた願望実現のもっともシンプルな方式と考えたいとおもう。

元々「悪」という性質のものなどないとおもう。
自然じゃない状態、停滞してる状態、いびつになってたりゆがんだりしてる状態はたくさんあるが、その事象やそのもの自体が「悪」ということではないとおもう。
光に対しての闇という意味はわかる。光るものに対して光ってないところということ。

なんとなくありがたいなとおもった。

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ダーキニーオラクルカード

!!4/27〜4/29までお休みさせていただきます。メール等のご連絡のご返信は4/30以降にさせていただきます。!!



最近毎日ダーキニーオラクルカードを引くようにしているが、今日引いたカードはHolocaust、大虐殺の名前のカードである。これはタロットでいうと「塔」に該当するカードと書かれていた。

私はタロットには暗いので、塔の意味は深く知らないのだが、あまりよくない意味のカードだったように記憶している。
しかしこのHolocaustカードは少なくとも説明には悪い意味ではかかれてなかった。
価値観の変化を意味しており、囚われた感覚、間違った固定観念からの脱出を実行しましょうというような内容であった。まあ塔のカードも結局はそうゆう意味になるのかもしれないけど・・・。

カードの絵は背後に爆発したような火が描かれ、家があり、煙突からたくさんの目があふれでてきてる様子。
下の方には倒壊した建物がある。そんな少し不気味で怖い絵。

昨日は、カーリーが描かれたカードMean&Heavyがでてきた。
よくなってくるから大丈夫というような内容だったとおもうが、絵は身体のない真っ黒いカーリーが、骸骨をふんで生首をつかみ、べろーんと舌を出している率直にいって不思議を超えて滑稽と感じてしまう絵のカード

このオラクルカードの名前の、ダーキニーはカーリーの眷属神であり、日本ではダキニ天としてもよくしられている。
こんなものを見つけたので、そのうち使わせていただこうかな・・・。


今日聞こえた言葉

今日は綺麗な音楽が流れて来た。
加えて綺麗な歌声も・・・。メロディラインだけ聞いているとお経じゃないけど、節回しリズムがなく、広がるような音ふんわりとした心地よい音だった。


どんなに理屈で自分を納得させようとしても
違うと響いて来たものは、違うし、
道だとおもうものは、道。

違うものも受け入れることができる場所を
みんな持っているけど、
それは、道を入れるための場所なので、
違うものを入れる場所は実は最初からない。


ヘイワースが一歩踏み出しましょうといった。

ヘイワース

今日は鋭い目をした女性の存在がやってきた。
あまりに強いので、「あなたは光の存在か?」と何度も確認した。
今まで会ったことはないのだけれど、カーリーとかドゥルガーとかああいう感じ土の匂いがする生のパワーあふれる存在だった。

名前はジャメとかジャハラとかなんかそんな感じの言葉で聞き取れず、まあいいやとおもって彼女の話しをきいた。
まっすぐのびた自分が色んな面でわかれ色んな方向に向いている印象だった。
巨大なトーテムポールのような。
でもあれはくっついてるし棒なので、イメージのたとえとするとふさわしくないかもしれないが、光の柱というものが棒だとするならばそのたとえでもいいのかもしれない。

彼女は力説する。
ふとく、光りましょう
のびるというよりもつながると意識しましょう
まっすぐ、真っすぐです!

彼女から離れてアシュタールに会う。
彼はいつもの服じゃなくて、とてもやさしいかんじで笑顔で大きかった。
ここのところ忙しそうにしていたけど、落ち着いたのかな・・と見ていると、優しい感じで話しをしてくれて、今まで考えていたことが、全て溶けて一つのラインにまとまった。
安心していると、力強い存在を紹介しましょうといって、天使がでてきた。

4枚の大きなはねを持った天使で、これははっきり名前がわかった。
ヘイワースという。髪は黒く短く顔はうつむいていた。

この天使が私に重なって来た。
身体が小刻みに激しくふるえる自発動がおきて、サードアイにフラッシュのような光を感じた。
二つの黒い瞳が見えて、ミカエルが剣をもって出てきて、えらいニコニコしてるなあ・・とおもったら、意識がなくなった。

気がついたら終了する時間になっていた。


サナンダの言葉

今日はサナンダがでてきてこういった。


 「なにをするのも

 なにを決めるのも

 あなた次第ですが、

 他の人も、

 あなたと同じ。

 同じ神の光を持つ存在と、

 意識しましょう。」

ヴァイワムスと地球の影と光

今日も瞑想をした。

今日はそのままするするっと以前していたような感じで、自由に上昇していった。
途中いろんなカラフルな空間があり、そのままヴァイワムスのところに行く。

彼に質問をしなくちゃ・・・と思い、「自分という存在はない」について聞いてみようとすると、
怒りについて、自分がここのところ考えていたものがイメージになって戻って来た。
頭で考えるとイライラ,だがハートはなにも感じていない。

そこでヴァイワムスがいった。
「なにもないところに怒りなどの感情はおこりません」

私というものは入れ物みたいなものなだけで、怒りなんてものはもとから私自身には存在していない。
元々怒りっぽいなどというのは存在していない ということだろうか。
なにもないところに降ってくる感情だとしたら、それは不要だとおもっているなら、自分にはないと思えばいいということだろうか。

屁理屈のすきな私はこういってみた。
「愛も自分自身にはない ということでしょうか」

ヴァイワムスは穏やかにいってくれた。
「愛はふってきます。そして愛はあなたの魂がしっています。」

神のかけらである魂が知っていて、常に働き掛けてくれるということなのかな。

そのとき突如、真っ黒い空間と光のうつくしい空間が遠くの方に見えた。
メリエルという天使がでてきた。私と瞑想を始めたときに私についてきてくれた誰かきかなかったけど、誰かをもっと上方につれていった。

「影は全てを飲み込み、影にします。そのものの本質はなくなり、単に影となります。」という。

私はそのメリエルという細長い白っぽいエネルギーの天使に聞いた。
「地球は光ですか、影ですか」

影がかかっているところがあるのですが、光を当てられている部分もあるのです。


ふーん・・・。



ガブリエル

怒らないということは私には克服が永遠ほど遠く感じられるテーマである。

昨日も忘れ物がおおかった下の子に怒りをぶつけてしまったのだが、怒っているときに、ふと自分のハートにはなにも腹立たしいというものは存在せず、脳が「思い通りにならない」ということにいら立ちを感じているだけ というのが見えた。

子どもに忘れ物を取りに行かせている間にレイキの光で車や自分を包み、ハートの感覚が脳にもひろがるようなイメージで戻ってくるのを待っていた。
その後怒りはしばらくしておさまったのだが、「またやってしまった・・」という感覚は残っていて、今朝やってきたガブリエルに「怒ってしまったよ・・・」といった。

きっと彼等天使は、「わかってますね?」だとか「自分で考えてみましょう」とか「身から出たさびでしょう」みたいな厳しいことをいうのだろうなとおもっていたのだが、その予測を勝手にたてていたのは自分の意識で、実際はそうではなかった。

ガブリエルは美しい光を出してくれて私を安心させてから、なぜ怒るのか一緒にもとに戻ってみようと誘ってくれた。私にとって彼女はリンとした印象できびしめの表情であることが多かったのだが、今日はやさしい淡い色の光のオーラでいい感じだった。

怒るのは冒頭でも触れたように、自分の思い通りにならないからだ。
自分の思い通りにならないそのものはなんだろう。
時間をつめすぎで段取りをしているから、予定がくずれると次にも影響がある。
影響があればどうなるのか。

次の予定をするのが遅れる。程度で、大したことはない。
しようとおもってたこと、自分の計画など別にやってもやらなくても、勝手に動いて行く。

ただ計画通りにしたら安全という自分の安心感が奪われたので怒ったのだろう。
でもそこで、次にすすむのを怒りにしなくてもいい。

そこで今日は優しいなと思った一言目「私たちがお手伝いします」
うれしかった・・・。

話しは戻るが、これは、先日の仏教の12縁起のところでも触れた自分と考えの違うものを遠ざけて、差別することで、違うものとの対立、怒り、争い というところにも通じているような感覚が浮かぶ。

そこでまたガブリエルがキーワードを落としてきた。
「自分というものはなにもない。」「この世に私のものはなにもない」である。
怒りは自分と他の差別からくる。
元々なにもないものなのに、なにもないことに怒りをわかせるなんて、無意味である。

だがこの理由は私には落ちてこない。
わからないまま、今朝は終了。

吉祥天

前の記事にかいた「自分はない」という言葉が、自分の中でキーワードになっている。
なんでも受け入れることができる入れものみたいなものと考えると理解しやすいのかもしれない。
その入れ物の大きさは定まっておらず、成長とともに大きくなっていくものだと考えるといいのかもしれない。

しかし三次元の頭では見たもの聞いたものしかやっぱりイメージできない。
そんな「入れ物」と断定しきれるほど単純なものではないという直感もあり、まだ自分の中に落ちてこない。

昨日はガブリエル、そして最近は吉祥天がいつもつきまと・・日参してくれている。
吉祥天は質量が高い印象。どーん、だーん、という感じ。(??)

いつも私の質問に丁寧に答えてくれるが、今日はついてきましょうといわれ、ついていった。
前までは第一第二チャクラにヒーリングエネルギーを感じていたが、最近は第三チャクラによくかんじる。

ついていったところは、まぶしい光があるところで、しばし無意識のレベルまでいってしまい、ふわっと浮かぶようなエネルギーを感じていた。

1 急いでいる
2 信号が黄色になる
3 信号無視をしようかとおもう
4 信号無視は危ないからだめだ or 誰も見ていないから大丈夫だ
5 信号無視をする
6 パトカーに追尾され、罰金+点数-2

こんな流れの出来事があったとしたら、どうおもうだろうか。
警察に見つかって不幸だった。
他の人もやっているのにどうして自分だけがつかまったのか。
とにかく捕まったことが腹立たしい。
・・・だろうか。

だが、吉祥天から言わせると、

4 信号無視は危ないからだめだ or 誰も見ていないから大丈夫だ

この時点で、悪いことだと自分の中が言っているので、それは悪いことなのだ。
悪いことをしてから、あとで様々な理由付けをしてそれ自体を正しいものだとしようとしているが、悪いと思った時点で、悪いことなのです。と言っている。

言葉にすると超当たり前のことなんだけどなあ、、と思っていると、
すぐ目の前に質量が高い(要するに重そうな)威厳たっぷりの吉祥天が、すぐ私の前にそびえたのを感じた。
まだわからないのぉ??と言われているような気がした。

(幸い)そろそろ時間が、、、という逃げ口上で今朝の瞑想は終わり。






続・観音

統合のワーク、ユニティは魂と現在の意識との融合なのだけれど、最近はその手法で毎日魂に会いに行く瞑想をしている。メルキゼデクがいうので、深く入って行くそれをしている。
自分の疑問、問題点などをその場でイメージしていると、魂の光がこういった。

「あなたというものはないのです。」

私というものがない・・・。この「自分だ」という意識はないというのはどうゆうことだろう。
絶対的なものがないと基準がくずれそうな気がする。
自分という入れ物のなかの自分の意識は変化するからという意味?と聞いてみたが、

「宇宙中、どこにも『あなた』というものはありません。」

と再度いわれた。
魂は元々神の光、根源のかけらであるので、自分のものじゃない。
ところが現在生きている意識は私じゃない。
「わたし」という意識を宇宙によって持たされている。と考えることができるが、本人はなかなかそう思いにくい。

ただ、理屈はわからないが、私の全てが私のものじゃないと考えると、周りにいる私じゃない人も「私」とおなじなのだから、おなじように大切にしようと考えることができる。
そしてかわりなく「私」にも親切にすることができる。と考えやすくなる。

しかし、理解のわるい私は、理解しようとするため先人で誰か「自分はない」といった人がいないか、調べてみた。そして近しいものを見つけた。それは仏教の考えだった。

仏教で四宝印という根幹の考え方がある。これは、

諸行無常:この世の中で常であるものはなにもなく絶えず変化している
一切皆苦:一切は皆苦であると知ること
諸法無我:本来、我となる主体はない
涅槃寂静:一切のとらわれやこだわりを離れた姿

これらを実現するためにありのままを受け入れることが苦しみや悩みをなくす手段であるとし、その人間の心身の苦しみの原因はつきつめるところ12項目あるとして、それを12縁起というとのこと。
名称だけ書いてみるが、

無明(むみょう)  
行(ぎょう)
識(しき)
名色(みょうしき)
六処(ろくしょ)
触(そく)
受(じゅ)
愛(あい)
取(しゅ)
有(う)
生(しょう)
老死(ろうし)

の12項目。
詳細がかかれたサイトはたくさんあるので、ここでは割愛するが、12項目のなかで私が気になったのが、『有(う)』である。

これは前に生じる『取(しゅ)』と関係が深いのだが、取は、好きなものを自分のものにしたいといういわゆる執着と、嫌いなものは遠ざけたいという感覚のことである。

それがすすむと物事に対する考え方は、人それぞれ判断が異なってくるようになる。
やがて「他人と自分を区別」をする意識を持つようになり、意識が、人と比べて幸せだとか苦しいだとか、感じるようになり、他人と意識の差で対立するようになり、争いが起きるとなる。
こんな風に差別する心が引き起こすことを「有」というらしい。

現実のところ、地球上で起こっている様々は戦争、紛争から家庭における暴力まで、このへんが原因になっていると考えられることができる。
「自分」を他の人と強烈に区別していると、考えが違うものを区別して、自分の考えにさせたいと欲し、抵抗され、憎いという苦しみが現れる。
これにつながっているのは、四法印のなかで「諸法無我(本来、我となる主体はない)」という考えじゃないか。
つまり魂がいったのは、私という存在がない という実体の否定じゃなかったのだなとわかった。

専門家がみたら、群盲象を評すで恥ずかしい解釈なのかもしれないと心配しつつも、備忘してしまう。

そんなこんなで調べていた昨日の今日。観音がでてきた。
ひらひらとはためくような羽衣のようなエネルギーを私にふりそそいでくれる。
自分とそれ以外のものとの調和といっていたが、この表現はあまりふさわしくない。
自分(あえて自分というが)をふくめた大きな自分を超えた世界との調和が、観音のエネルギーのようである。

重くどこまでものびていく羽衣のようなエネルギーをしばし感じて今朝の瞑想は終了。



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