今回の地震についてのブログを多く見かける。
内容は様々で、寄付の呼びかけや行動、原発や報道の仕方について、なにかすることはできないだろうかという自問等々。
不安を感じているひとはどんな人だろう。
今回震災の被害にあわれたひとは失ったものが多く今後の生活に不安を抱いている。
亡くなられた人。
直接的に救援救助をしている人。どうしようもない想像もつかない生死の境目の目撃をしているに違いない。
間接的な(たとえば日本の経済面)について憂う人。
色々いるだろう。
これで見落とされやすいのが、私のような全く震災に関係ない地域でこのニュースを見せられた人の「不安」だろうと思う。
自分たちは無傷だとおもっているその人たちは、なにもできない自分を憂い、時にはせめるまでして、その不安により電池やティシュなどの物品を寄付を送付したりする。救助の経験のない人がレスキュー隊に混じって救出活動をしたりすることもあるかもしれない。
しかし個人単位で送ると、先方の需要をみたすような大口の消耗品の輸送にさまたげを引き起こしたり、今朝のみずほ銀行のATMの不具合にもみられるように、お金の流通(もしかして小口の寄付金?)が通常を著しく上回ったことによるトラブルの発生がみられるのかもしれない。
平常ではなくなった状態に不安を抱いた人が引き起こすマイナスの連鎖がある。
不安だから少しでも自分ができることを考えて、その不安を解消するために行う動作だとおもう。
だからといって寄付しよう、なんとかしたいというのがマイナスと言っているのではない。
その「気持ち」は、とても次元の高い素晴らしいものだとおもう。
長丁場になるのだから、あせらず状況を見ながらやるべきことをしたいとおもう。
今回の地震は悲惨な事実をもたらしたのだけれど、日本人が主役になって地球全体がレベルアップしたようにおもう。ここで実際あるかどうかもわからないアセンションにふれるのはちょっとおかしいかもしれないけれど、それに備え地球人のレベルアップが試みられたのかもしれない。
今回のレベルアップとは、お互いのことを考えて助け合う、その気持ちが存在し、心を動かされる人がいるというそれである。
お互いに「愛」をかけあうというその気持ちなのだとおもう。
西洋では「三匹の子豚」にみられるようにレンガ作りの家「外部の一切の害から守る事ができる家」というのがベストとされているようだ。
でも日本の住宅は地震で倒壊することを前提とした作りになっているらしい。
江戸時代にも、如何に地震に耐えうることができるかというような屋敷の設計はなく、倒壊したあとの殿様の退路の図面などが存在したらしい。
地震でもなんでもプラスの事もマイナスの事も受入れる日本人のこういった感覚は古くから受け継がれているものであったようだ。
そういった感覚はこの時代に合っていて共感されるものなのだろう。
そんな日本に今生まれた事を誇りにおもって今日も祈ろうとおもう。
内容は様々で、寄付の呼びかけや行動、原発や報道の仕方について、なにかすることはできないだろうかという自問等々。
不安を感じているひとはどんな人だろう。
今回震災の被害にあわれたひとは失ったものが多く今後の生活に不安を抱いている。
亡くなられた人。
直接的に救援救助をしている人。どうしようもない想像もつかない生死の境目の目撃をしているに違いない。
間接的な(たとえば日本の経済面)について憂う人。
色々いるだろう。
これで見落とされやすいのが、私のような全く震災に関係ない地域でこのニュースを見せられた人の「不安」だろうと思う。
自分たちは無傷だとおもっているその人たちは、なにもできない自分を憂い、時にはせめるまでして、その不安により電池やティシュなどの物品を寄付を送付したりする。救助の経験のない人がレスキュー隊に混じって救出活動をしたりすることもあるかもしれない。
しかし個人単位で送ると、先方の需要をみたすような大口の消耗品の輸送にさまたげを引き起こしたり、今朝のみずほ銀行のATMの不具合にもみられるように、お金の流通(もしかして小口の寄付金?)が通常を著しく上回ったことによるトラブルの発生がみられるのかもしれない。
平常ではなくなった状態に不安を抱いた人が引き起こすマイナスの連鎖がある。
不安だから少しでも自分ができることを考えて、その不安を解消するために行う動作だとおもう。
だからといって寄付しよう、なんとかしたいというのがマイナスと言っているのではない。
その「気持ち」は、とても次元の高い素晴らしいものだとおもう。
長丁場になるのだから、あせらず状況を見ながらやるべきことをしたいとおもう。
今回の地震は悲惨な事実をもたらしたのだけれど、日本人が主役になって地球全体がレベルアップしたようにおもう。ここで実際あるかどうかもわからないアセンションにふれるのはちょっとおかしいかもしれないけれど、それに備え地球人のレベルアップが試みられたのかもしれない。
今回のレベルアップとは、お互いのことを考えて助け合う、その気持ちが存在し、心を動かされる人がいるというそれである。
お互いに「愛」をかけあうというその気持ちなのだとおもう。
西洋では「三匹の子豚」にみられるようにレンガ作りの家「外部の一切の害から守る事ができる家」というのがベストとされているようだ。
でも日本の住宅は地震で倒壊することを前提とした作りになっているらしい。
江戸時代にも、如何に地震に耐えうることができるかというような屋敷の設計はなく、倒壊したあとの殿様の退路の図面などが存在したらしい。
地震でもなんでもプラスの事もマイナスの事も受入れる日本人のこういった感覚は古くから受け継がれているものであったようだ。
そういった感覚はこの時代に合っていて共感されるものなのだろう。
そんな日本に今生まれた事を誇りにおもって今日も祈ろうとおもう。
