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日野川 あさ

Author:日野川 あさ
別名:airid(あいりど)

奈良のエネルギーワーカーです。
主にネットでヒーリングやチャネリングの活動してます。

○伝授・ヒーリング等のサイト
”PRISMATICA”

○天然石とアクセサリーのショップ
”Prismatic Stone”

○アメブロの普段日記
”スジャータさんのメモ帳”

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お知らせ


■ヒーリングやチャネリングのセッションや伝授をするサイトやってます。
「PRISMATICA プリズマティカ」

■チャネリングにより作成したアクセサリーやリーディングした石をご紹介しています。
パワーストーンショプ"Prismatic Stone"


*** what's New! ***

3/30 さらに一部再開のお知らせ。

4月より、プリズマティカを一部再開します。
再開するメニューは、コンテンツのセッションindexにある、ヒーリング、チャネリング、リーディングのみになります。
スケジュールをご確認いただき、こちらよりお申込みいただければと思います。
伝授・レッスンの再開はまだ未定です。


10/5 一部再開のお知らせ。

10/5より、PRISMATIC STONEを再開します。
チャネリングアクセサリーをご要望の方はこちらよりお申込みいただければと思います。
PRISMATICAのセッションやレッスンの再開はまだ未定です。


自分のパワーを信頼してください

なにやらオラクルカードに出てくるメッセ―ジのようだが、この言葉は今朝の瞑想でおりてきた。
この意味は、
「どうせ自分などダメだろう」諦め
「私ごときができるわけない」卑下
「本当に自分でいいのか?」疑念
等々を断固たるパワーで霧のごとく散らして蒸発させ、自分の中の中心にある「私」という力をみなぎらせるということ。

出来なかったら、「ほらやっぱりダメなんだ」ではなく、「なぜできなかったんだろう」と振り返り、足りなかった部分に気が付き足していくのが吉。但し書きがあり、前提としては正しいことに限る。これは大事。
しかし、振り返った時に正しいことかそうでないかまで振り返れば但し書きもいらないかな。

マイトレーヤが動く

マイトレーヤがやってきた、活動しはじめたというのが今朝の瞑想でわかったこと。
地球をほんのりピンクのまくのようなもので地球をおおいはじめている。
白い十字架が見える。これは地球の人の智慧の集合体で、意識はこれを動かしているものなのだとか。
マイトレーヤは、胸をひらいてつながる方法でないと意識には届かないだろう。

マイトレーヤの出現についての話をいたるところでみかけるが、ただ待つのではなく、母なる地球に愛を返したいとおもう。

クートフーミは遊びましょうという。
興味のあることを楽しむことを彼なりの言葉で遊びだというらしい。
そうなると仕事に興味をもってやってる人も遊びとなる。
遊びは人に心身に力をあたえ、創造力をつけ、正しい道を見つけやすくなるとのこと。

苦しいときは、時間を無理やりにでも作って、遊ぶといいのかもしれない。




地球である私たち

上の子供が進学するときに、悩んでいたころ、高校の物理かなにかの授業で宇宙について先生が語ってくれたらしい。その内容が心に残ったのか、私に質問をしてきた。

「地球人って宇宙で生きていけるとおもうか?」

食べ物や水があればそこそこ生きていけるのではないかといったが、答えはノー。
割とあっけなく死んでしまうというか消滅してしまうらしい。
「人間は結局、地球を離れて生きることができないんだって」

ここで太陽のめぐみやら、母なる地球の大気に守られている、だとか太陽系の他の惑星がなどと従来なら思考がそっちに行く予定だったのだが、今回はふと別のことを思った。

私たち生きているもの。地球上の生命体は全て地球の新陳代謝にすぎない。
私たちの体の皮膚が28日サイクルで剥がれ落ち、また新しくなるように、人間をふくめた生命体は生きている地球の体の一部、まさに地球そのものなのだと。

剥がれ落ちた皮膚になれば、死ということ。
死後の世界についてはまた後日備忘するとして、地球人は今世でおわり、次回は別の星の意識体に生まれ変わるということを言ってる人がいるが、それはありえにくいとならないか。
自分は地球そのものであり、自分自身のレベルアップはイコール地球のレベルアップとなるから。

高い次元にいってしまったアセンデッドマスターや天使は元々地球の皮膚である者と違い、元々がマスターで天使であるのが化身となっていただけなのだろう。
天使はともかくマスターが地球に化身でやってきたところは宇宙の根源の意図するところで、私などが知りえることができない。

しかし説明がつかない人がいる。それはブッダ。
彼は人間であり、神ではない(と思っている)
彼は光への道の傍に外灯をつけていってくれた人で、人間が満ち足りた世界を得るために手法をわかりやすく伝えてくれたまさに地球にいきる生命体にとっての師だとおもう。
彼が地球の生命体として存在し外灯をつけていってくれたこと自体は、宇宙の根源の意志かもしれない。

今、地球同士いがみあいや悪い気持ちをもって新陳代謝をしている人がいるけれど、皮膚にだってニキビやほくろなんかできるわけだし、皆が皆同じ行動をすることはない。
皮膚がんが、本体自体をやっつけてしまう場合もある。
そうなれば地球そのものの私たちは終了して、魂は別の乗り物を探すということになればいいが、そのまま闇に飲み込まれてしまったら、一巻の終わりということになるのかもしれない。

闇との戦い だとかいうストーリーはスピリチュアルの世界でもゲームの世界でも映画の世界なんかでも隆盛極めているが、あながち間違った流れでもないのかもしれないなと備忘する。

だが私は、闇に不安を抱くより、他の恐怖に気を取られるより、できる範囲で平らかで豊かな生き方をやっていきたい。


自発動について(チャネリング中に低級霊がやってきたら)

瞑想中に体が動くことを自発動というが、私もよくこれがおこる。
人により、手首だけ動いたり、頭がだけ動いたりと様々であるが、瞑想に入り込んでいるのにこちらに体に意識が向くのは、こちらにもどってきそうになるいうことなので、私自身はあまり動かなければいいのにと思っている。
つまり気が散るので・・・。

私の自発動は、腰のあたりから上半身が前後にゆれる又は、左右にゆれるというもので、自分としてはまるで自分自身がペンデュラムになったような気がしている。
というのは、通常では、前後にゆっくり少しずつ揺れる程度なのだけれど、左右にふれるときがあって、それは違う!とかNOとか、本来の道以外のことにすすもうとするとそうなる。

今朝はとても派手な意識体がやってきて、楽しそうにくるくるおどり笛や太鼓で派手な音をだしながらついてこいというので、非常に怪しく思い、光のもとからやってきた存在かと何度も尋ねてそうだと返事するのでついていってみた。
自分はサナンダの化身みたいなことをいって、エネルギーを授けましょうというのをその怪しいのがいった瞬間、体が猛烈に左右にふれはじめた。
話すだけならまだいいが、エネルギーを受けるなんてまっぴらごめんである。(汗

今朝のような場合じゃないときでも、例えば天使と交信してるときに、わざと逆説的な表現をするとと左右にゆれる。
自発動はおさまってほしいけれど、まあ今日みたいに交信をやめたほうがいいよというのをすぐ決断できるのである意味便利かもしれない。

それともう一つの備忘。
チャネリング中に、神に使える存在か だとか、光の元にいるものかと3度たずねて、3度までにそうだといわなければ高級霊じゃないので接触をするなというのが見分ける目安としてあるが、付け入ろうとするものの力が強ければ強いほど「うんうん、光の存在だよ!^^」などと10回でも20回でも涼しい顔で答えてくるので目安はあくまで目安にしかならないということだ。

チャネリングをやりはじめて間もない人は危険だからやめておけとかいう説もあるけれど、怖がっていてはいつまでもその感覚に支配されてしまう。
基本的なことはもちろん押さえておかなければならないと思うが、その上で、怖がることなく、怪しいとおもったら、あんたあやしいからあっちいけと交信を絶てばいいだけの話だとおもう。

・具体的な日時での予言
・指示してくる
・それらを詳細にしてきて、すごい!と思わせるようなことが起こる

これも接触してくる低級霊の目安にしかならないが、まずは内なる光につながり光の意識に頼って判断し、追い払えればいい。





悪いこと

悪いことをするとバチが当たるよと言われている。
神はバチなんか当てるわけないので、実は自分への戒めということになるのだろう。

戒めというならば、なぜバチと言われる現象がおきるのだろうか。
「こんなことやってたらいつか××(恐れていること)になるだろうな」と予め想像しているからバチという表現になるのだろうとおもう。
言い換えれば、悪いことをやっていて、恐れていることが起こる可能性を予測できているのだ。

例えば、仕事中のサラリーマンが、営業車の中でお昼ご飯を食べた後に公園横の桜の木の下でお昼寝するのが1時間。
最初はちょっと眠たいから、運転に支障をきたすからと休んだつもりが1時間になった。
あまりにその後の仕事がはかどったので、次の日もちょっとだけとまた1時間お昼寝。
その次の日も・・・と続けてしまって1か月。
「昼寝はさぼりだな」と、思うときがあった。
そして会社の誰かにみられたら・・・と不安になる。
その気持ちは昼寝のたびに起こり、その都度、こんなところ誰も通るわけがないと打ち消して昼寝をする。

会社をさぼっているのが、心にやましいことで、悪いことをしている自分をまのあたりにしている。
悪いことをやっている自分を知っている。

これが悪いと思わなければバチにならない。
つまり「昼寝したから、仕事がはかどったので昼寝は必要。思いついた自分偉い!」などと思っているならばバチは起こらないであろう。
よしんば会社に見つかって、始末書を書かされることになっても、バチではなく「会社がどうして理解してくれないのだろうか」などと思うだろう。

「仕事中の昼寝」をとらえるこのあたりの感覚は個人の状況により千差万別であろうが、自分は悪いことをやっていると思った場合、会社にみつかったことで「ほら、バチがあたった」と思うだろうとおもう。

これは、悪いことをやっていてそれをやめなければならない自分への理由づけであるともいえるが、ここでは、自分への信頼を損ないためにも自分が悪いとおもったことはしないほうがいいということが言いたい。
信頼をそこねるとはどうゆうことかというと、自分を悪いやつだとおもうということである。
悪いと思っている人に自分の全てを託すだろうか。
自分を応援してくれる最大の味方は自分自身であるのに、その自分を信頼できないということほど、心細いことはない。

人は、肉体(+感情)と精神の合体物であり、一致団結して、力を出さなければ、乗り越えられないかとおもえるような困難な壁があるときは、かなりつらい状況になる。

なにか悪いことが続けさまに起こる場合は、一瞬でも「これってやめたほうがいいことかな?」とふりかえり、戻って確認してみるのがいいかもしれない。